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NEW YORK TODAY
☆Times Squareのライブ映像

週刊NY生活

◆日本紹介機関◆
COOL JAPAN

英文日本紹介

CONTENTS

【新連載】コラムK's eye
ニューヨークの自由の女神像の台座
に刻まれたエマ・ラザラスの移民の詩


◆最新大学情報◆
part 1 トピックス

◆毎日新聞くらしナビ/学ぶ @大学から。2018年5月8日・4月10日の記事
◆私大の4割が潰れ、教員大失職 『週刊現代』2017.12.30号
◆時代の風 大学という社会装置 2017.11.19 毎日新聞


最新大学情報
part 2 ピックアップ編
法政大、軍事研究を禁止 
朝日デジタル2017.1.27

スーパーグローバル大学創成支援

Top Global University Project 
採択大学一覧
『大学問題・好評書評』も掲載しました



2018年夏・秋号を読むはこちら

【2018年2月】
詳説福島原発・伊方原発年表
本体25,000円
【2017年11月】
【日本現代史シリーズ6】
教育刷新審議会
配布資料集 全4巻

本体120,000円
【2017年9月】
【日本経済調査資料シリーズ5】
明解企業研究資料集第3回
繊維産業編
 全3巻
本体130,000円
【2017年5月】
【CPCNo7】
詩人 西脇順三郎

―その生涯と作品
本体1,800円
【2017年4月】
【CPCNo.6
京王沿線の近現代史

本体1,800円
【2017年2月】
【日本経済調査資料シリーズ4
『明治大正期商工信用録』
第Ⅰ期第5回配本全4巻
本体120,000円



移民ビブリオグラフィー
―書誌でみる北米移民研究―
<普及版>
神繁司 元国会図書館職員
本体3,700円


【2016年6・7月新刊】

【日本現代史シリーズ 5】
寺﨑昌男推薦・高橋寛人解題

『教育刷新委員会総会
配布資料集』
本体 90,000円


戦後教育改革の第一級史料を
見やすくして復刻出版。

売れています!!

【2016年4月新刊】

底本で使用した第42版
(大正9年)の原本はほとんどの
機関が未所蔵の貴重な資料


『明治大正期商工信用録』
第Ⅰ期第4回配本 全4巻
本体 120,000円




【2016年3月新刊】

今までの鉄道史のみかたを覆す、
注目の一冊。

永江雅和(専修大学教授)著
『小田急沿線の近現代史』
CPCリブレ 本体 1,800円
 ともかくわかりやすくておもしろい !!



【2016年2月新刊】

移民研究最前線、珠玉の論集 !

【クロス文化学叢書第2巻】
河原典史(立命館大学教授)・
日比嘉高
(名古屋大学准教授)編
『メディア―移民をつなぐ、
移民がつなぐ』
本体3,700円




【2015年12月新刊

国立大学文系の危機を扱った
CPCリブレ
 光本滋(北海道大学准教授)著
『危機に立つ国立大学』
定価: 本体1,200円+税




絶賛発売中 !!

【2015年9月新刊

日本経営史注目の
資料集 !!
『明解企業史研究資料集
第2回配本 総合商社
鈴木商店関係会社編』
佐々木淳解題
本体130,000円



好評既刊

【クロス文化学叢書第1巻】
矢嶋道文
(関東学院大学教授)編
『互恵と国際交流』
本体 4,500円




原発問題を考える

エコーする<知>No.1
原発を考える―フクシマ
からの発言


改訂新装版

新たに書き下ろした原発
事故後の福島の現状に
ついての小論を追加収録。




安田純治×澤 正宏対談。
体裁A5判・並製 90頁 
本体1,200円


好評発売中

【日本現代史シリーズ 4】
伊方原発設置反対運動
裁判資料
第2回配本全3巻・別冊
本体90,000円
詳細な「伊方原発関連年表」付




【日本現代史シリーズ 3】
伊方原発設置反対運動
裁判資料
第1回配本 全4巻
本体160,000円 



【日本現代史シリーズ 2】
福島原発設置反対運動
裁判資料

第2回配本 全4巻
本体88,000円 




【日本現代史シリーズ 1】
福島原発設置反対運動
裁判資料

第1回配本 全3巻
本体150,000円




好評既刊



エコーする<知> NO.2
高橋寛人(横浜市立大学教授)著
『危機に立つ教育委員会』
本体 : 1,200円

信濃毎日新聞、神奈川新聞、図書
新聞、内外教育等書評等に掲載される。


好評既刊

西脇順三郎研究
資料集

第1回全3巻 澤 正宏
編集・解説
本体88,000円
第2回全3巻 澤 正宏
編集・解説
本体90,000円
「CPC Journal」
第5号(通巻18号)特集:
西脇順三郎研究の現在



【日本経済調査資料シリーズ 5】
明解企業史研究
資料集
-旧外地企業編

全4巻編集・解題 
佐々木淳(龍谷大学教授)
本体150,000円




好評既刊




 移民ビブリオグラフィー
―書誌でみる北米移民―
神繁司 元国会図書館職員
B5判・上製約400頁

 
本体20,000【在庫僅

書店
丸善雄松堂
紀伊國屋書店


◆異文化最前線-
北欧諸国◆

■デンマークの新聞 Politiken
■スウェーデンの書店Bokus Bokhandel
■スウェーデンのテレビtv4
■スウェーデンのラジオSveriges Radio

■バルト三国(リトアニア、ラトヴィ゙ア、エストニア)最新情報 The Baltic Times 

北欧関係出版社
スウェーデン最新情報
■ノルウェー最新情報 
■アイスランド最新情報
■デンマーク最新情報
■フィンランド最新情報



◆最新大学情報◆
part 3 アトランダム編

◆専門職大学、19年に開学
2017.5.26 毎日
◆大学の個人研究費が
50万円未満 文科省の調査で判明
2016.9.5 毎日
◆横国大に50年ぶり新学部
都市科学部と
教職大学院設置へ
2016.8.31 毎日

◆大学奨学金 貸与型・給付型増加へ
2016.7
◆国立大学予算増は半数 
改革策評価 
交付金で明暗 文科省発表
2016.3.10 毎日
◆教員に英語能力指針
文科省 養成課程に反映
2015.11.13
教員定数削減は暴論
中教審 異例の緊急提言
2015.10.29 毎日
見える成果 国立大に求める
文科省 交付金配分メリハリ
文系学部見直し迫る
2015.6.10 朝日
◆「国立大、文系見直しを」ニーズに踏まえ配し廃止・転換促す 文科省通知
2015.6.9 朝日
◆大学入試 総合評価に 面接、論文 新テスト併用 中教審答申
2014.12.23 毎日
◆スーパーグローバル大学創成支援
2014.12 学術振興会
◆大学改革 : 教授会の役割、法で制限 学長に原元を権限―文科省検討
2014.1.17
◆文科省が国立大強化 世界の頭脳 丸ごと誘致 研究室 スタッフも
2014.1.3 毎日
◆スーパーグローバル大学、世界ランキング100位に10校目指し、文科省支援100億円10大学公募
2013.7.29 読売
◆東大 推薦入学実施へ
2013.3.14 毎日
◆京大 講義を英語で 教養科目の半分 来年度から5年間
2013.3.12 毎日
◆東大、東北大 秋入学移行へ
京大、早大、慶大は春秋入学併用
2012.12.23 毎日
◆東大 秋入学移行へ
2012.1.19 毎日
◆科研費削減の可能性
2011.8.22 毎日
◆東大、秋入学を検討
2011.8.12 毎日
◆今時の大学生は海外留学をしたがらない
(2010.8.23)
◆大学情報公開 地域との連携2010.6.21 毎日
◆大学政策を転換 文科省 全国立大に通知(2009.6.6毎日)
◆国立大学の埋蔵金 3001億円に(2009.6.6 朝日)
◆迷走する大学に関する最新本2009.1.11
◆法科大学院定員削減へ2008.12.6
◆世界最新大学ランキング


最新大学問題・書評

木村誠著
『危ない私立大学  残る私立大学』抜粋


 高校の先生が生徒に勧めたい私立大学の2012年版。慶応大、早稲田大、ICU、東京理科大、明治大と続き、そのあと金沢工大、立命大、中央大、同志社大、立教大、上智大、津田塾大、愛知大、武蔵大、成蹊大、学習院大、関西学院大、南山大、関西大、青山学院大、明治学院大、立命館アジア太平洋大、東京女子大、同志社女子大、東北学院大、中村学園大、法政大、専修大、京産大、京都女子大、近畿大、芝浦工大、崇城大学、中京大、ノートルダム清心女子大、佛教大、松山大、美作大と並ぶ。

 危ない私立大学の要因はいくつかあるようだが、その一つに1980年代以降「公私協力方式」が生まれて私立大学が増加したことだと著者は書く。公私協力方式とは、自治体が敷地を提供したり補助金を出したりして、地元に私立大学を誘致し私学法人に経営を任せる方式をいう。また地元の短期大学法人の4年生移行を財政支援する形もある。少子化は着実に進行していたにもかかわらず、1982年以降、公私協力方式の私立大学数は約130校、現在の私立大学の約2割を占めると言われている。
(本文
P.170P.170

 公私協力方式の小規模新設私立大学は、志願者が減る一方となり、半数近くが定員割れらしい。募集力の劣化がサバイバル度が低い原因と言われ、地元の高校などへのPRが欠かせないと解決策を提示している。

 いずれにしても、人口減少にフィットした大学のあり方が求められている。要は大学数が多いのだ。大学間のニュースとニーズをいち早く正確にキャッチして、相互のメリットを活かした大学間の救済合併が必要になって来るだろう。残る私立大学も試練を強いられる時代である。小手先の改組程度では先行き不安なはず。行政側の文科省の果たす役割も重要だろう。最後に本書の巻末に大学評価の指標を掲げているので、それを記して本書の書評を締め括る。

【研究水準】

論文引用度指数、科研費配分額、大学院進学率、外部資金の額と内容、教員の研究レベル、卒業論文、ゼミ論文の重視度

【教育力】

FDの実施状況、PBLの実施状況、リメディアル教育の実施、授業評価の運用、中退率、卒業率

【大学生活】

学生相談制度の充実、奨学金制度の充実、学生寮や福利厚生施設、サークル、体育会の施設、国内・海外留学制度、外国人留学生との交流

【就職率】

キャリアデザイン教育、就職指導の多面的展開、国家(公的)資格取得率、離職者のアフターケア

追記。今日の毎日新聞のコラムは文科省が「大学改革実行プラン」を表明し「学ぶ意欲と力を測る入試への転換」を掲げたと書き、具体的取りかかりそうだとコメントしている。(2012619  記)

追記2。世界139カ国・地域の2400校が導入している大学入学資格取得に必要な教育課程「国際バカロレア」について、文科省は国内で広げることを決めたと619日付毎日新聞夕刊が報じた。グローバル人材の育成が目的。現在インターナショナルスクールなど23校が実施しているが、5年後に200 校に増やす計画と。また、教科の日本語での実施も考えるという。

 国際バカロレア⇒16歳から19歳の2年間、言語、数字など6科目を学ぶ。修了試験に合格すれば大学入学資格が得られる。1968年にスイスで発足した国際バカロレ機構が導入校を認定するシステム。
以上毎日新聞夕刊から。



異文化エッセー
(英文)
外国人研究者(native)による英文添削ノート付
   

異文化発見 外国人の日本観

下記はドラゴ・ウヌク先生のエッセー "A Linguist came from a small country, Slovenia "「スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン」CPC編集者が試訳したものです。


これからこのコラムである小雑誌に寄稿してもらった外国人の日本印象記を、書斎でなく机の要らない移動先でも気軽にできる携帯メールで翻訳を試みたい。これはある種の実験である。

スロヴェニアのマリボ-ル大学教育学部スロヴェニア語スロヴェニア文学講師のドラゴ・ウヌク氏は、JSPS(日本国際交流基金学術研究助成)在外研究員後期博士課程の助成を受けて1年間京都大学大学院人間環境学研究科三谷教授の指導の下で言語学研究をするため、200512月に来日。この日本印象記はある研究者の紹介を得て彼の京都滞在中に4回に渡って書かれたものだ。ドラゴ・ウヌク氏はすでに研究期間を終え帰国している。1 人のヨーロッパの小国の学者が母国語でない英語でしかもアジアの東端の初めて出会った国・日本を描く、これはクロスカルチュラルアスペクトにぴったりのテーマだ。発想、ものの捉え方と感じ方、言語感覚や外国語に現れる母国語など類似と相違が読み取れるはずである。どれくらいの長さになるか分からないが、ともかく始めてみよう。その前にスロヴェニア国を拙い知識で一瞥。スロヴェニア国は中欧に位置し、旧ユーゴスラビアから199012月に独立した新しい国で北はアルプスの南麓、オーストリア、北東はハンガリー、西はイタリア、南東はクロアチア、そして南はアドリア海に接する人口約200万のカトリックの国。トレッド湖、鍾乳洞、中世の教会など歴史的な遺産の多い風光明媚なところ。首都はリュブリャナ(人口26万人。地震も多いらしい。写真はリュブリャナ城)。言語は西スラブ語に属するスロヴェニア語(複数形の他に双数の概念もある)。登山・スキーの観光産業と農業だが繊維、電気機器、機械、自動車産業も発達していてGDPも高く最近EU(2004)にも仲間入り。その歴史は被支配の歴史だ。国民はドイツ的影響を受け継ぎ勤勉。人口の割には文献学・文学・詩などの分野の学者を輩出。勿論有名サッカー選手なども輩出している。日本のそばと同じ食材のパンがあるらしい。ドラゴンは縁起が良いと言って店先などに飾られているとはテレビの受け入れ。筆者は行ったことがないので詳しいことは分からない。スロヴェニアについては2006618日付筆者のコラムを読めば多少参考になるかも知れない。

追記。筆者は今言語学者・チェコ語学者、千野栄一の『言語学フォエバー』を読んでいるが、その中でスロヴェニアについて書かれた面白い文章に出くわした。スロヴェニアでは狭い国土にもかかわらず方言が結構あって、北と南とでは言葉が通じないと驚いていた。やはり山岳地帯と海岸沿いの地域では地理的地政学的条件が違うからか ? 日本でも東北地方の北端、青森の津軽弁と九州地方の南端、鹿児島弁とでは"通訳"がいないとお互いに意思疎通が出来難いと言われている。それも近年マスコミの発達で薄れてきて標準語化しているが。



スロヴェニア人が見た
不思議な国・ニッポン

私はずいぶんと若かった。その時は自分が物事は目に見えるように存在するのでもなく、現前することでもないことに気づき始めた頃は・・・。15年前に独立し今日までヨーロッパでは全く謎の国のままでごく普通の意識レベルでもほとんど知られていない、そんな国土の面積が2万平方キロメートルで人口が200万人もいない、所謂ヨーロッパのポケットからきた外国人の目で実体を観察すること、それは日本と日本人とはいかに違うだろうか。どこで自分の研究をすべきか決断しなければならなかった時に最初アメリカについて考えたが、可能性と期待の点で熟考した後、日本へと自分の見方を変えたのだ。ほんの一瞬で最終結論に達した。決定的なことは、リーダー的な研究と世界の発展的力としての日本の役割である。身体の隅々まで分かっていたことだが、自分が今いる環境は、とても普通ではないような選択だと理解したのだ。確かに関心は大きかったが、自分自身としては人生上意義深い変化を差し出したつもりだった。私たちの文化は日本について本当にステレオタイプ化している。日本は将来も発展する国であり、また歴史のある国と基本的に見られているのだ。また、一方では上品さは充分にあるし、リーダー的な経済と西欧世界の重要な要求に対する適応もある国と基本的にみられているのだ。私が受ける最近の日本のイメージは、伝統的な建築、芸者それに俳句の統合された情報のモザイクである。それは平均的な西欧人がテレビやインターネットを通じて受けるイメージだ。放送によって精神活動を拡げているのだ。こんな妨げられたイメージに応えたくないと思っていたので、私はガイドブックから実用的な情報を得、自分が実際に降りる場所を知ろうとしたのだ。そう、1年は環境充足情報として内部情報や過程情報を取得するには時間はたっぷりあるのだ。

私は期待していたことを最初に掴んだ。飛行中ずっと起きていたにもかかわらず、太陽が日本の上を昇って近づくにつれて私の視野に日本の海岸、船や関西国際空港が入ってきた。やがてだんだん近くなってきた。新しい日が明けるにつれて私は微笑みながら思った。「そうだ、自分がまさにしばらく住もうとする国のロマンチックな考えが現実なりそうなのだ」。日本は遠いかも知れないが、私たちの文化がつくられたような違いや頑固さを信じるべきか。いみじくも空港での規則正しさを見ることで私は次の日たくさん出会うことを知ってしまったのだ。つまり、日本人は例外的に親切であること、依存性が高いことそれに有能であることなどである。私は12cm位積雪のあった冬のただ中のスロヴェニアを後にした。だから冬の服装で着飾って着いたため汗をかいてしまった。(ハンドブックのアドバイスに従ってそうしたのだが)。日本は秋の気温だった。「この暖かな気候は本当に魅力的だね」とは私の心を横切る

言葉だ。私は電車の窓の風景を讃えた。新しい住まいは京都市左京区の京都大学国際交流会館だ。ヨーロッパを旅行した経験では、学生は絶対に贅沢さからは縁遠いことを認めなければならない。アパートのインテリアは古く擦り減っているし、技術的な問題の断り書きは何もないのだ。「留学生用にコンピュータルームとADSLの回線はあります」とね。しかしながら私が期待したのは、自分の所属する学部の提供すべき理想的な研究環境だ。次の日から冬が来るが、セントラルヒーティングもないしスロヴェニアで使っていたものまでないのだ。暖房器具は動かないので私は電気ヒーターと余っている毛布を補助用に受け取った。外は風があり骨まで凍みる寒さのため、それらを使っても十分には役立っていないのだ。暖かな気候は今どこに?街を散歩すると、いろんなものが見える。ものは大変近くにあってしかも豊富だ。しかし目に入る些細な問題もある。森ではなく木々を眺めるのはいつも最良だ。他の道を回って、ということは京都を散策すると少しずつ分かってくる。と同時に、実際に自分がいるところのイメージが掴めるようになるのだ。もちろんビルが一番目に入る。古く伝統的なものが残っていて街に溶け込んでいる。他方、現代の建造物もあってそれは二つに分けられる。低い民家と高いビル(註。唖然とするが京都には高層ビルはないようだ)は、私が見たところでは、高低差のあるビルとの興味深い相関関係を指摘できると思う。それは街をとても生き生きとさせているのだ。遊歩道はヨーロッパよりも広く路地は狭い。そこには多くの民家が立ち並んでいる。さらにビルの形は機能面を重視した箱形になっているのだ。

  

  京都郊外には大きな森が広がっている。私は晩秋の木の葉やさらにすばらしい色彩に驚かされた。明るい黄色からボルドー赤色に広がっているのだ。私は多少慎重な性格なため、一番近いところを探索することが専らの関心事だ。民家が真ん中にある街の外れに住んでいることが嬉しいのだ。その民家は繋がっていて路地が家のまわりに広がっている。植木鉢や庭に花が咲いていて緑がたくさんあるのだ。本当に故郷みたいだ。晴れた日には特に自分のまわりをさらに探索するのが楽しい。驚くほどの店(花屋、クリーニング屋、小さな食堂、魚市場、文房具屋と宝石店)もまわりにはあるのだ。京都に住んでいる人は自営業の人が多いので、サービスは収入の主な源泉である。そんな隣近所は一団になり自己充足的な集団のようだ。だから学校から薬局まですべてあるのだ。そんな集団でいくら稼げるかあるいは店の儲けはいくらか興味がある。半マイル(1マイルは約1.6キロ)毎に流行っている食べ物屋があるようだ(24軒中7)。だからデパートは自分の町にある数より数が少ないし、店で浮かれている群れにも出くわしたことがない。多分外国人なら誰でもそうだが英字紙やヨーロッパのタバコ屋がないと寂しいと思う。自販機や自動飲料機はあるのだ。執拗に固執するなら、喫煙道具を置いてある店を見つけられる。幸いにも私は英字紙のジャパンタイムズが読める。テレビを見ないので満足である。

  日本人はとても善良な隣人だと指摘されている。手助けする方法や情報の自由なやり取りを見つけだす力が備わっている。もっとも日本人の多くは英語を話せないし私は日本語を話せないが。西欧人は日本人を厳格でとても真面目な国民と見ている。笑わない時などまるで怒っているかのように私たちには映るのだが、それは西欧人の心にある一枚の絵と同じだ。強調しなければならないのは、こんな親しみやすい人々には以前には会ったこともないし、私のような見知らぬ外国人に親しくするだけではなく他の人にも同じようにするのだ。私には親切丁寧な決まり切った態度に見受けられるのだ。特別でユニークな会話の形式があるのを理解するために言語をマスターする必要はない。外国人であるにもかかわらず、どんなところでも余計な感情を持ったことはなかったし、この点に対しては会った誰もが歓迎してくれた。私が上陸して触れた文化のもうひとつの面は清潔さだ。「まずは清潔にすること」となるとヨーロッパのどこにもそんな学者ぶった文句を私は見たことがなかったのだ。通りを家をそして全体的な環境を清潔に保つことは日常生活の主要な面だ。そういう空気の中にひとつの意味があるのだ。いかにして人は自分自身や他人を敬うか考えさせてくれるのだ。外国人にとってすごく重要なことが交通ルールにある。それは独特なものだからだ。日本に着いてすぐにタクシーに乗った時に、新しい交通ルールとあわせるために多少時間がかかった。タクシーの運転手は右側に座っていたが、時差ボケで小銭を落としてしまったのだ。同じようなことがイギリスの交通ルールでも起きた。そう、結局違いに気付いたあとだが普通のことだ。しかしながらこの地点に達するまでに例えば道路を横断するような小さな出会い方の場合には、間違って別の側などでバスを待っていてもルールに従うことを優先させた方がいい。幸いにも私はここでは今尚ハンドルを握っていない。基本的なところは(標識や灯り)スロヴェニアのと同じだ。遊歩道も全ての大都市と同じように見える。道幅や大きさも同じでそれにそのサイドのビルも大変よく似ているのだ。他方少し問題もある。それは言葉の問題だ。標識はほとんど日本語で書かれているし、しかもたくさんあるので、道路や通りの名前もラテン文字で書かれているという事実を簡単に見過ごしてしまうのだ。数えることができない標識は私には広告とは思えない。私は基本的にはそれらを見ても影響を受けないのだ。なぜなら漢字、ひらがなやカタカナになると読めないからだ。それでも私は書き方には大変美しさがあり心を打つものだと分かる。

  私は舗道を歩くと嬉しくなるのだ。メイン通りはすっかり舗装されているが、私が驚いたのは道路でさえ平坦で表面がきれいにできているということだ。人が一杯いたり交通渋滞がないからストレスも怒りも感じない。ここの交通量は人口10万人位の故郷の町の交通量よりずっと少ないという妙な感情に私は捉われている。こんなことがいかにして可能なのか?私が期待していた通り、多くの地元生産の車を見かけた。あちこちでプジョーも見かけた、多分ベンツも見かけたがそれまでだ。私はある時から日本車が好きになっていた。だから間近で見られる機会ができてうれしいのだ。ちょっと驚いたのは新しくよく手入れされた乗り物をたくさん見かけることだ。5年位前だったか学部の同僚と私は本部の前に駐車していた小さな一人乗りの日本車を褒めた。その車は形といい機能性といい誰もが納得していた。それは私たちが見慣れていないものだった。「しかしここにはそういう車がたくさんある」と笑い飛ばすように自分に言い聞かせた。34社の自動車メーカーが優勢のようだ。マツダ製の車は日本でさえ価格が高いように思える。日本で私はとても尋常ではない色を見つけた。それは黒、白とグレー以外の色は存在しないということだ。誰かが私に尋ねたとしたら明るい色は存在しないと応えるだろう。マツダの車がとても生き生きした色と奇抜さのコンビネーションでヨーロッパ市場を驚かせたことを考えてかなりショックを受けている。現在までいろいろと見てきたので、私は追突された車またはそうではなくとも傷つけられた車を見ても驚かないのだ。そんなことはよくあることだし、自分の町で楽しい経験ではないがあったのだ。特にスーパーマーケットに車で行ったときなどに。私は日本人が忍耐強く教養があって親切丁寧な人たちとの印象を受けた。私はさらに日本の数多くのバイクやスクーターを見られることを期待していた。速度があって頑丈な日本のバイクというイメージを好んでいたからだ。ラッキーなことにもうひとつは、この辺にはそういったバイクがそう多く見かけないことだ。言わせてもらえば古い。あまり楽しい印象をもっていないが、最初2人のバイクの運転手に巻き込まれた。ここのキャンパスで会った学生にとってはバイクは最も適当な交通手段だが、彼らの運転は攻撃的に思える。ともかくも誰も怪我や暴力は起きていないようだ。少し驚くかも知れないが。バスもまた、交通手段の実用的な手段である。頼りがいがあって安く実用的だ。時間通りに来ないことで不快感を表す多くの人を見つけるけれども、私は個人的には見て回るのにはバスを利用するのが好きだ。バス乗車券の払い方が分かった後は結局その方を好んだ。外国人は目新しものには何か特別なものと考えるが、適応能力がバッチリなとき彼らはその国の人がしている仕方を受け入れる。少なくとも私はそう期待する。

 よく言われることだが、あまり善良過ぎるほど良くないものはないのだ。もっと正確に言うと、かつて経験したことがなかったことを書かなければならない。悲しいことだ。2日前信号が変わるのを待って横断歩道に立っていた。1人の男性と幼い子供が私の近くに立っていてその子供が私を見て顔を逸らした。父親がそのことに気づいて手を引っ張り衝動的に何か説明し始めた。その位の年齢の子供は変でしかも外国のものや人に本当に興味があることを分かっているのだ。その子供は私をじっと見つめていた。外国人が目の前にいるということの忠告や事実をその子供がどう知るか、私にはどうにもしてあげられなかった。父親はそういうことを子供に話しかけていたと思う。これは推測だが、父親が自分の息子の腕をとても強く掴んだ後からその場の雰囲気がますます悪くなったのだ。苦い経験だったね。また、最近京都で起きた子どもの殺人事件についての日刊紙の論評や記事もある。過去何週間か経験していたので知っているが、日本のファミリーは子供に特に気をつける傾向があるのだ。子供の暴力的な死亡統計は年間30人まで上昇し大変問題になっていることも理解できる。交通事故で年間平均30人が死亡している国(人口200万人以下の国)から来ているが、同時に出生率はヨーロッパで最低なのである。私はこの話題の新聞記事をざっと読んだ。違った分野の専門家は説明やら解決策を絶えず研究している。問題は説明するのが本当にむつかしいのだ。子どもは依存性が高く社会の一番弱い構成員ないし連携であるが、社会が伝統的であればあるほど、脆い子どもたちに手を掛けることに集中するのだ。現代社会もまた、矛盾した現象をよく一般化してしまう。例えば、子どもに対する性的暴力、まわりにいる恐ろしい殺人者、子供や大人の拷問などだ。これらの殺人事件は意外な関心を呼んでいてさらに悲しませる。裁判の記事は新聞から得られるので、刑事被告人は主に大人の男性だが、その中で唯一おかしな外国人が目立っている。その外国人は殺人の烙印を押すのを可能にしてしまうような愚かなキャンペーンを張られている(テレビの記者のせいや新聞報道通りでは)。事実は犯罪者全員が精神的なもので不安定なものなのだ。だからある種の疑問は公開しなければならない。この恐怖の理由は何であるか、何で防げるか、そして絶対に止めさせられるかということを公開しなければならない。大人と比べると子どもは無力だと認めて子どもの話題を始めた。一方では単なる傍観者である誰かの思想のように従おうとすれば、読者を満足させられないだろう。日本はコミックの熱狂ぶりでは世界的に知られているのだ。若者だけではなく大人もレストラン、店や書店などで大概どこでもコミックを読んでいる。これらのコミックにはある種の強調された女性のキャラクターが描かれていて外見はとても子どもっぽいが、性的な内容が重要な役割を演じているのだ。男性のキャラクターは女性のとは性的行動は違って描かれている。多くは従属的で利用されているようだが、暴力が背後にあるようだ。さらに女性のキャラクターはすべて子どものように見える(性的であることが例外だと分かるのは、書店の前や中で見られるのだが、コミックがある特別な区切りの場所や最初にカバーがビジュアル的かでどの作家の内容かが分かるところ)。しかしながら、読者の仲間がむしろ限定されていることやコミックが紐で縛られている事実はこの際考慮しておこう。大人がもっぱらコミックを購入し、性的フラストレーションを追いやる生活のある種の手段として使っていると理解される。このようなことはヨーロッパでは不可能だろう。ヨーロッパの社会は性的暴力などに対して子どもを守るには熱心で同時に、性的倒錯者に対して探索が行われているのだ。性、暴力と子どもという考えは共通の分母ではないのだ。日本のコミックで重要なことがある。描かれたキャラクターは子どもの外見だが、性的にも精神的にもトラウマを持っていてそのメッセージは次のようなものだ。彼らは自からを守れない。どんな社会にでも潜んでいる病んだ性的倒錯者はいる。そんなコミックの背景的なメッセージをどう解釈するかを書くときには長く特別な章を費やさなければならない。ジャパンタイムズのコミックでさえ考えさせられる。そのコミックは男性の大方はいかに女性を理解するか、私たちはいかに全ての女生徒、アニメプリンセスや控え目な芸者になるかなどを特集している。

 私は外国人だからそうしているが、普段見ているものや見られないものを観察している。日本人は本当にとても礼儀正しい。日本来て1ヶ月以上になるが、最初のコラムで言ったことについては今尚変わっていない。たとえ受け入れ国の代表に巻き込まれた毎日の出会いが何であろうともだ。毎日と言えば、だんだんと単調になってきている。私でさえ分かることは、この国の人口が最近12800万人になり、その中で1年間たっぷり過ごす自分自身も外国人としてこの数字に含まれているということだ。

  気温が上がった。だから私のアパートの気温も上がった。ちょっと皮肉的に言えば、暖かい空気が私の部屋に入ってきたのだ。私の部屋の気温を追いやって。しかし私はセントラルヒーティングには今尚ちょっと不幸せになる。一生懸命やっても、セントラルヒーティングは機能しないということの事実を変えられないのだ。これがいつも寒さを感じる理由なのだ。いろいろと日本のものに慣れてきたが、未だに本来の問題の解決がどうして働かないのか私には不思議に思えてならない(私たちは外国人だから)。ヨーロッパで使っているセントラルヒーティングは故障するだろうか?私は電気毛布を与えられたが、こうして一人ではもはや眠れない。ここで過ごす他のヨーロッパ人が同じことで文句を言っていることを私はよく読んでいる。現在私にはこの“ヒーティングコンパニオン”がいるけれども、それは私が寒さで身震いすることが更に少なくなっていることではないのだ。

前回私のコラムで日本についてのうわべの知識について書いた。しかし、はっきりしていることは日本が、人生でまさに現在的で日本人は期待した以上というヨーロッパ人を思わせる。敬うことそしてそれを実際に経験してみると、読んだり聞いたりしたこととは何と大きな隔たりがあることか指摘できる。個人的には私は日本を頼りにしているのだ。読者は私を寒がりの人とのイメージを持ったかも知れない。自己防御の点で言えば、1946年来最大の寒波が日本にやって来たことは"ラッキー”だった。ある地域では3m67cm以上の積雪、そして凍死の絶えざるニュースもある。そんな時家の人たちはe-mailでどう対処するのか尋ねてくるのだ。不幸にもこの冬は例外で日本の一部の地域ではひどかった。私がよっぽど幸運だったのは、まさにその地域、もっと正確に言うと、札幌に22日ばかり訪ねようとしたことだ。そこでは本当の自分自身を見られる機会がある。新しい環境で自分自信を発見すると、ひとは新しい環境には慣れるはずだ。ある種の習慣や期待が取れ新しいものを取り入れるはずなのだ。まずは、既得の習慣のシステムを全く破壊して意味を短期間には理解できなくすることだ。他方は、更に時間と闘いが要求される。この二つの局面の間に捕られて自分自身を発見すると、読者はある砂漠の中に固定化された感じになる…。どうして、どうして、これは私に起こったことなのだ。自由な時間と実際に過ごせる多くの可能性をもたらしてくれる数えきれない休日と祭日をちょうど経験したのだ。否、11月にジャズが知らせてくれることやクリスマスが近づいていることにちょうど私は慣れてきている…。ここ日本ではそれははっきりと違った調べだ。私は“メリークリスマス”の看板を日本の伝統の、ある種のヨーロッパスタイルの侵入だとは見なさないし、さらに全体的な言語学的な構築には内容の欠落ないし思想的空虚さがあるとは思わない。問題はクリスマスを祝福することだけである(英語圏の社会でさえその言葉の繋がりの最初の象徴的な意味を忘れてきているので、休日を全く違ったものとして見なしていないのだ)。だから看板は目立つし書き方が違っているため、ある種の飾り付けや商業的なポスターは大変似ているようだ。すべてを棚上げにすれば、クリスマスの花輪を買ってそれをドアにかけるのは素敵だった(キリスト教より遥か以前が起源のシンボルだが誰も気に掛けているようには思えない)。もっとも自分たちのウインドウに普通に飾る店主と私とは何か違っていた。滑稽に聞こえるかも知れないが、私はクリスマスが同じようにはアジアに引き継がれて決していないと思ったのだ。

 ある日私は児童たちが演奏する音楽会に出席した。それはショッピングセンターの前にステージが作られたものだ。凍てついていたが(すでに何度も書いた)、彼らの音楽はすごく楽しかったし出席していた人たちはその演奏に圧倒されていたので、指揮している先生はコンサート終了を完全に説明しなければならなかったほどだった。少し寒くて震えていた学生服姿の児童たちは立ち去るときにはとても幸せそうだった。この音楽会で私は社会主義時代の子どものときを思い出した。しかし他の出席者全員が自分たちの子ども時代について更にノスタルジックになっていたように思えた。少なくとも私はそう推測する。

 話題を新年に戻そう。飾り付けはあまり自然なのですぐに目に留まらなかった(人間の目は普通チカチカしているものに反応することに特に慣れているならば)。しかし注意深く探し始めたあとにその飾り付けは、ひょいっと現れた。どこかにあると期待していたが。私には目新しいものだということは事実だ。だけど、言われているように新年は最も重要な祭日として見なされているのだから、飾り付けそれ自体の外観、作られた材質やその感じ方を考えれば、本来家庭的なものである。最も大きな通りだけは飾り付けられて、一方郊外には何もないのだ。これも大きな驚きだ。期待はもちろん私には重要なものだが、それは心から沸き上がって来るものだし、また育つものだ。だから一人の外国人にとっては以前に経験したことと結び付けることを期待する新しいものはない。更に、私は祭日(正月休み)の前日(大晦日)のはしゃぎ振りや歳暮の浮かれ騒ぎにはまったく気付かなかった。全ては違った調子、違った方法で起こっているのだ。静かに気付かれずにそして慎み深くだ。私は後に真夜中過ぎに分かったが、何か日本特有のものだ。

  学生が一番身近くで親愛なる人に用意するクリスマスパーティー(私を含めた多くの住人は数千マイル離れている)には出席しなかったので、いわゆるメインストリートで新年を迎えることに決めた。私たちヨーロッパ人は都市には広場があり、古い街に置かれて都市の広場の中心を表しているとみなしている。もちろん京都は広場ばかりではなく横断歩道もあるが、都市の古い街はつとに有名である。

 そう、少し忙しい時間から解放されたあと、飾りものが全然ない喫茶店で日本人が新年をどう迎えるのか掴みたかった。結局実際は各々別々に祝っていると結論づけながら、私はメインストリートに集まっていた群衆に混じっていた。充分に楽しんだあと私は何か新しいものを用意した。外で新年を迎える初めての時だった。表現するのがむつかしい。「フレー、ここ!」群衆の真ん中で打ちのめされていると、同時に私も気が動転して何も言えない。私の頭はみんなの上で高く居座ったままだった。私が立ったまま何かするかどうか多くの人も興味津々だった…。伝統的な衣服を纏った三人の女性の後ろに立っていた。人生一度の経験の準備をしていた。私はまた間違っていたのだ。女性たちはタバコを取り出し携帯電話で少しショートメールを交換してから寮へ戻って行った。新年のお祝いのロマンチックなところは、予期せぬところでおじゃんになってしまったのだ。私は止まって最後のカウントダウンが始まる人々やバンバンと音を鳴らし始める爆竹や夜空を明るくする花火を待ち望んでいたけれども、沈黙以外に何もなかったのだ。誰もが初詣の気分に変わって静かに話しながら待っていた。世界に2006年の新年が明ける直前、約10人位が静かにカウントダウンを始めた。ほとんど呟いているような声で、である。彼らがしていなかったならば、実際に世界のこの地では2005年が終わったか知らなかっただろう。無礼を避けるため先に手袋を動かし人々と握手して最善を祈ったが不要だった。誰もそうしていなかった。少し経ってから一人の女性の声が初詣をする場所から響き渡った。最初私は誰かが新年おめでとうと群衆に向かって祈っていると思っていた。また間違ったのだ。後になってはっきりと分かるにつれて、その声は多分初詣の案内の声だったかも。

 お金。不幸な環境に負うところがあるが、私は自分の誕生日にお金を持たないままだった(「不幸な」という言葉は自分の誕生日が元旦のあとすぐだという事実とは関係ない)。大雑把に言えば、外国人には日本語で書いてあるものが読めないのは実用的ではないのだ。だから地方の銀行の入口に貼ってある貼り紙が解らなかった。その貼り紙には自動現金支払機は止まっていて4日まで動かないと書いてあった。私は自動現金支払機は使えると思ったのだ。仕事上開いている銀行次第では使えることを知らなかったのだ。ヨーロッパ人は所謂「プラスチックなお金」 を運用する複雑化した大量貨幣システムは、日本人よる発明だと考えがちだ。また間違ったのだ!休日にもしお金がなくて手に入らなければ、外国人にとっては決定的だ。私は滞在中に知り合った学生に頼みこんで自分の窮状を話した。黙って2日間位過ごせるお金を貸してくれた。期待してなかったが大変な親切に与ったのだ。お金に対しては全体的に大変上品のようだ。初めは金銭の授受の仕草に私は大いに驚き、また、ちょっと戸惑ったりした。うん、人は絶えざる基本から学ぶのだ・・・。お金の豊富さでいかにオランダとドイツ(逆に国家と比例して)にトラブルをもたらしているか驚いているときに、ここでは単純にいかにお金のことを"排除する"かが分かってまた、驚いている。他のすべてが存在するとき、お金と関係する物は大変実用的に規定されていて外国人でさえ即座に受け入れることができる。私がよく感じることは、物の対処の方法を深く考える必要はないということだ。というのは、すべてはできるだけ楽観的に扱われているからだ。

 ある語学雑誌の最新号にドミニク・チータムというイギリス人のコラムが最近の異文化体験を端的に語っていて面白い。このイギリス人は合気道に興味を持って日本に来たが、街を歩いていると合気道をやっている人は細長いバックを持っているので一目で分るが、しかも武道は流行っていないと聞いていたのに、新宿あたりでやたらとその光景を見かけるので不思議に思っていたら、イギリスでは主要なスポーツでないゴルフ、そのバックを持ち歩く光景だったことに驚いたと書いている。また、道路の両側にある溝、バスでいくスキーヤーなどそれなりに知識はあったものの、事実を聞いて勘違いと分った。どちらかと言えば知識が中途半端で偏っていたせいでと反省するが、逆に日本人はイギリス人なら誰でもサッカー好きと思われているようだが、私はまるっきりサッカーには興味がないとも言ってその勘違い振りを指摘している。だが、この比較的若い方に属するイギリス人は、誤解と勘違いをして良かったとし、とんでもない勘違いもあったほうが少しぐらいはいい、そのほうがその国の人たちのことを知るのがはるかに楽しくなると結論づけている。その最後の2行の原文は下記の通り(NHK「ビジネス英語」8月号P.123より)。前編翻訳終了

But then again, having listed and misunderstandings misconceptions, let me say that I am glad that I had them. Learning about a country, or the people of a country, is so much more fun with a few mad misunderstandings that it would be without them.

 筆者は小雑誌に掲載された「スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン」(原題: A linguist came from a small country, Slovenia. 註。タイトル名は編集者)の前編を翻訳したいま、上記のイギリス人の言葉の含蓄さを改めて噛みしめている。ほとんど通勤、出張時の移動の電車の中での翻訳だったが、エッセーということもあって専門用語が出て来ない分助かったが、やはり外国語としての英語を理解した上での日本語訳ははたして充分果たせたか、自分たちの国、日本をきちっと認識しているかなど疑問点やら再認識やらが頭を過ぎったことは確かだ。勘違いなどあれば見つけ次第訂正していくつもり。これも良い経験なのだ。

 今岩波書店編集部編『翻訳家の仕事』を読んでいる。岩波書店のPR雑誌『図書』に「だから翻訳はおもしろい」という題で2003年から2006年まで連載されたもの。37名の翻訳家がエッセーを書いている。ここには翻訳のエッセンスがある。まだ40ページ足らずだがおもしろい。繰り返し読んでもいい。複数の言語、複数の目、そして共通する日本語の思い、翻訳は創作なり、その道程の苦しみと完成時の充実感が行間からよく伝わってくる。英米文学者の若林正氏が紹介していた柳瀬尚紀著『翻訳困りっ話』(河出文庫)は筆者も読みたいと思って捜していた本。筆者は翻訳の難しさを実践中なのだ。

  というわけで『スロヴェニア人が見た不思議な国・ニッポン』後編の始まりである。
 2月〜3月の京都の風情を外国人の眼で活写している。

 古い町の通りを散歩しているときに、私は自然科学者と人文学者の間に日常生活で反芻する仕方がいかに違うかを考えた。また、動詞的思考と非動詞的思考がいかに重要か、教育を受け絵文字あるいは図像的な書き言葉を通じて形成された人をどのように考えたらよいか、考えてみて下さい。日本語が読めたなら、私の考え方が違っていただろうか。

  店と買物。日本では休日後の時間もセール時間だ。外国人としてはショッピングセンターを認めるには多少問題があるようだ。私は文字が読めない。他の違った店への案内標識がある1階には宝石店が並んでいる。特別な階には何を見つけるべきか、そうそう、日本語だ。主なショッピングセンターは市の中心部にある。京都は大都会だが、故郷で慣れていたような混雑はないのだ。人々がショッピングセンターの周りに広がり、私たち外国人にウィンドーショッピングをしてくれるようかなりのスペースを残しているように見えた。まさにセールが始まろうとするとき瞬時にものを奪い合うため、開くドアの前で何時間も長い列を成して並ぶ、そんな光景を見たことがなかった。

  日本に来る前に警戒していたが、日本でのモノの値段には今尚驚いている。私が知っているヨーロッパのブランド品は、現在の日本のものよりずっと高価だが、自国のよりはまだ安価だ。日本は物価が高い国と言われている。私の持ってきたコートはこの気候に合わなかったので新しいものを買う必要があった。店の店員は日本のブランド品は特別だから価格はちょっと高いのだと私を説得しようとした。私が見せられたものは本当に特別にみえたことは認めてもいい。しかしそれで暖かさが保てるだろうか。

 ところで、店員は流暢な英語を話したが、以前に二度ほど店内で見かけたと言った。品揃えは価格通りの値打ちがあり、セール中には恐るべき量を売ると説明しながら店内を案内してくれた。彼女は私の望む洋服をいくつか見せてくれた。値段の範囲内で買えたし、結局丁寧に出口まで付き添ってくれた。彼女は流暢な英語を私に示そうとしたが正しくは私の優柔不断さを解らなかったと思うのだ。そうだ、ともかくコート一着を買ったのだ(もちろん日本製)。期待しつつ私はコートの袖をのばしに洋服屋に持っていかなければならなかった。極端な状態で試したくなかった。なぜならクリスマス前の寒い日を今尚思い出すからだ。

 比較的若い世代はバザーでたくさんものを買うようだ(それを何と呼ぶのか)。市の中心部にある通り二つ幅の場所にはブーツ、ソックス、高い帽子や安いイアリングなどが売られている。ここは多くの歩行者で溢れていることがしばしばでヨーロッパの“corso”とよく似ている。道を散策することやウィンドーショッピングをすることもあれば、知人と出会うことを期待する場所でもあるのだ。  日本でも同じだ。若者は仲良く交際することを好む。ショッピングすることが重要なのではなく、今尚贈答品が全てなのだ。洋服の量を見て驚いたが、それはセール用に仕上げられていてしわはのばされていた。どんな流行だろうと質がなんだろうとも、ショッピングセンターでは同じだと気付いた。直に見てみよう。あるものは判らないままだ。

  日本の社会はどのような階層になっているのか考察するのはこれまた全く容易い。外国人としてそのことを実際に知るには多くの店を見て回らなければならなかった。外国人に受けるのは古い町にあるたくさんの小さな店だが、そこでは才能のきらめく秀作の手作り品を眺めたり褒めたりして午後のほとんどを過ごせるのだ。値段、そう高いが妥当な値段だと言っておこう。この辺はあまり観光客がいないので、店の客はほとんど地元の人たちだ。結論を言えば、日本人は伝統を維持しようとしているが過去から動いているようだ。店は日曜祭日も開いている。ケーキ屋はいつも一杯、女性は着物で歩き回る。これらを眺めたり褒めたりすることは我々ヨーロッパ人には確かに受けるのだ。

  喫茶店に入ったときなど若い子ども連れの家族は、私の存在に気付くと私から遠く離れて座った。しかし一日後これとはまったく違った経験をした。喫茶店の窓越しに手を振って合図をしていた子どもに、不思議にも英語で挨拶の仕方を教えられた。他の場合だが、年配のカップルととても楽しい会話をしていることに気づいた。年配のカップルは知らないと思うが、私はまさにいい日を作ってもらったのだ。普段日本人とつきあうのはとても難しい。一方で彼らは手伝うときや仕事をするときなどは大変優しいが、他方では、一般的に外国人に対しては遠慮深いのだ。

 日本で寝込むことは他のところで病気になることとまったく違わない。頭痛や鼻風邪は日本でもスロヴェニアでも退屈だ。医者を尋ねたことも興味深かった。寒い上に感冒の季節は私を容赦しなかった。医院、インテリア、従業員そして患者の関係では社会主義下の古い時代を思い出した。でもその構造はすべてここではずっと有効なのだ。医者は英語を話した。できるかぎりそうしてくれた。自分のアパートが寒いことを私が説明するのが難しかったからだろう。その後その医者は暖かくして過ごすようにと言ってくれたのだ。

 この独特で興味深い国を日々少しずつ理解するようになってきているが、私は子どもと同じように好奇心を今尚持ち続けている。

 長く続かない人たちや何も長く続かないことでは私は今日本に来て現在3ヶ月も経った。今尚日本人の行動が同じように見える。私はどうか。そう、はじめに言ったように、日常の基本的なところで何が立ち現われて来るか知覚できることと同様に、ある程度まで類推することで多少の変化を経験できた。ひとつは日本の伝統的な食事作法である箸の使い方を極めて早くマスターしたことだ。しかしそれだけでは終わらない。いくつか日本語の単語も覚えて薬局へ行って薬も買ったし、郵便局でなんとかすることも覚えたのだ。これら単純なことだけでも実際の現在の自分の居場所がさらに洞察できるようになったのだ。

  流されるのを防ぐには自分の考えを呼び起こさせ、自分が最初に日本に来た理由に焦点をあてることだ。日本に来た主な目的は言語学の調査と研究だ。私の国は大変狭いし人口も少ないので、世界中の研究者の大変重要な概念である、いわゆる結果を得るための必要な量=“クリティカル・マス”を提供できない。私の研究の中心分野ではまだ学者や研究者が十分に育っていないのだ。だから私は至るところで結果を得るための量をを見つけなければならなかった。私の研究は特に生きた母国語を研究するような特別の分野に限られている。
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『スロヴェニア人が見た
不思議な国・ニッポン